「写真」はオーディオと共に、
私の人生の中でも、大きな割合を占める趣味以上の物で、
常に私に力をもたらしてくれる大切な存在です。
本稿はあるプログラムの為に2007年に、パワーポイントで作成した
中の文章部分を抜き出し、もう一度見直し加筆修正した物です。
常識と思われる部分がほとんどですが、
そこはどうか笑いながら読み飛ばしていただけたらうれしく思います。
さて、「写真」です。
写ってるのは、果たして「真」なのでしょうか???
同じ被写体を撮っても、写す人の個性や信条・そのときの心境の違いが、
シャッターを切るタイミングや画面構成、
情景の切り出し方、露出や被写界深度等
の選択の結果として撮影行為に反映された結果、
写真や写真が訴えかける物は大きく変化します。
勿論、写真を見る第三者のおかれたバックグラウンドによっても
幾らでも変化するでしょう。
だから、そこに写っている物は、「真」であって「真」でない。
ただそこにある物を写しただけの筈なのに、
撮影者の表現意図や、「気持ち(心)」が
意識的はもちろん、無意識下でも反映され、
写真も大きく変わると思うのです。
でも、気持ちが写ってしまうって、本当でしょうか?
そもそも、気持ちって何でしょうか?
好き、嬉しい、楽しい、共感、感動、好奇心
寂しさ、悲しみ、苦しみ、怒り・・・
様々な肯定的・否定的な感情のことを言いますが、
何気なく撮った写真を改めて見直し、その時の気持ちを振返ってみる事で、
自分の知らなかった側面に気付く・・・
写真は自分の心を写す、もう一つの鏡、という面も有ると思います。
気持ちが写真に写っちゃうって、ちょっと怖いし難しそうな気もしますよね?
でも、魂をぬかれるなんて事は、勿論ありません!
(虜になってしまうことはありますがw)
実は、写真を楽しむ基本は、
1・初めて世界に触れる子供のような眼差しで、
2・琴線に触れたものごとを自然体で観察し、
3・自分の心に素直になり、撮りたいように撮ってみる。
この三つだけです。(とりあえず、そう言い切っちゃいます。)
多少なりとも写真経験のある方は、写真散歩や撮影行為を通じて、
緩やかに気分が解放され、徐々に高揚し、素敵な気分になった経験が
おありだと思います。
撮影や写真を見直す行為は、身の回りの小さな変化の発見や、
自分が「何に惹かれるのか?」など、自己への気づきのきっかけにもなります。
写真は、自己表現やコミュニケーションの手段ですが、
癒しやストレス解消のお手伝いの手段にもなり得るのです。
これを「フォト・セラピー/写真療法」と言うそうです。
私はセラピストではなく、平凡な勤め人なので、
本件については、多くを語る資格はありません。
あくまでも個人的な経験から気づいたことを基に、本稿を書いて居ります。
関心のある方は、是非ググって見てください。
大切なのは、技術的な上手下手や高額な機材では無く、
撮影を楽しみ、工夫し、撮った写真の中身を見直すこと。
そして、自分の中の肯定的な気持ちに気づき、周囲に伝え、共有したい、
と言う気持ちなんです。
(だからこそ、写真を中心にしたHPやBlogが多いのだと思うのです。)
勿論、カメラの仕組みを知り、ちょっとしたコツを知ることは、
肯定的な気持ちを、より強化して表現したり、写真を楽しむ上での
大きな助けになります。
細かい撮影技術については、本稿の趣旨から外れるので触れませんが、
1stステップとしては、
1:取り説をよく読み、暇を見つけて、いろいろな機能をいじり倒す。
(とにかく触って慣れる!)
2:沢山撮って、失敗も沢山経験しておき、失敗そのものも楽しむ。
(1shot当たりのコストが低い、デジタルカメラの特徴を活用する。)
失敗経験と検証の量が、ここ一番の強さに繋がります。
フィルムカメラの場合は、初心者の方にはコスト的にお薦めしませんが、
フィルムの方が、逆に気合が入るという方も多いです。
まさに、一撮入魂です。
ウェルギリウスの言葉にNunc omnia rident. 「今、万物が微笑んでいる。」
と言うのがあります。
写真の楽しみは人それぞれですが、写真がきっかけとなり、
周囲に存在する、「瞬間ごとの微笑み」を感じること=肯定的な感情の再確認を通じ、
自分自身が人生に受け入れられている事や自己肯定感を感じられたなら、
それって幸せな事だなって思います。
この雑文が、写真に興味を持つ機会になったのなら、望外の喜びです。
気が向いたら、色々と書き足してみようと思います。