私は教育者でも心理学者でもなく、一介のサラリーマンです。
アドラー心理学の信奉者というわけではありませんが、
岩井俊憲さんの書かれた「勇気づけの心理学」を読み、
多くの気付きを得られました。
さて、「勇気」とは一体なんでしょうか?
貴方は「勇気」とは何だと思いますか?
ドライカースの定義によれば、
・自己勇気付けの産物
・生きることに活力を与える最も大きな要素
・自己信頼の具体的な現われ
・本質的に責任感や所属間と相互に関係。
・自分自身を恐れないこと。
・反語=恐れ
とありますが、
著者はアドラーの勇気に対する三つの定義に着目しています。
勇気とは
・リスクを引き受ける能力
・困難を克服する努力
・協力できる能力の一部
どちらも大変興味深いですね。
この9行の定義から汲み取れることは、
人間は集団の中でしか生きることが出来ず、
その中で生じる様々な課題と向き合い,
課題を解決する為に、他者と協力関係を築くことは、
自己信頼や生きてゆく上で必要な力を生み出す。
その力は、自分の成長を促し自分自身をさらに前に押し出す源となる。
またその力は、自ら持とうとしない限り得られない物である。
と言えはしないでしょうか?
逆を言えば、
自分にとって都合の良いぬるま湯のような環境に身を投じ、
自己の課題から目を背けて居る限り、
自己の中に勇気は芽生えず、自身が持つ課題を克服することは大変困難である。
ましてや皆の持つ共通の課題の解決に対して、積極的に関わることは出来ず、
結果的に集団の中にいても孤独な存在と成りうる。
と言えそうです。
社交的・アサーティブで積極的に他者と関わろうとしているように見えても、
実際には単なる自己顕示欲の発露であったり、
自分自身を必要以上に良く見せようとしてしまう結果であることは、
人間であり、「欲求」という物が有る限り、どんな人でもあり得ることです。
また、その様な場合、つい行き過ぎた行動や発言をしてしまう事も、
人間ですから、当たり前のことです。
しかし、人間には、失敗をすることと共に、失敗を挽回するために
自分の出来る範囲で努力をすることが許されています。
そして、その努力をする源である勇気は、自分自身を勇気づけ出来るかどうかに、
かかっていると思うのです。
さて、貴方はどの様に思われますか?
まだまだ勉強中ですが、気が向いたら、続きを書こうと思います。
お読みに成られた感想をお寄せいただけましたら嬉しく思います。