さて、前回の続きです。
岩井俊憲さんの書かれた「勇気づけの心理学」を読み進めてゆくと、
勇気を持つための資質と直面する課題について触れられています。
資質とは「自己受容」であり、課題とは「劣等感」です。
「劣等感」はアドラーが初めて唱えた概念で、アドラー心理学を語る上で
一つのキーになっています。
(ただし、アドラー心理学=「劣等感」ではありません。)
「自己受容」は本書によると
自分が自分の味方になる。=自分を罰しない。
自分自身の能力に確信がある。
リスクを冒す事をいとわない。
自立心が旺盛である。
自分の欠点や弱さを客観的に認めている。
自分の感情をコントロールできる。
失敗や挫折を学習の機会と考える。
将来に自信を持っている。
自分と他者の違いを認める。
他者との関係が協力的。
と、分類できます。
これをアサーション権(基本的人権の一つ)と対比させてみると、
失敗をする権利。(人間である権利)
失敗を挽回するために自分の出来る範囲で努力し責任を「持つ」権利。
自己主張をする権利/しない権利。
他人と違う権利。
必要なときには助けを求める権利。
罪悪感や利己的な感じを持たずに依頼を断る権利。
などが当てはまるでしょうか。
アサーション権は沢山あるのでまだまだ他にもあると思います。
自分自身を信じること、自分自身の能力や状況を認め受け入れること。
自己批判的に成りすぎないこと。
これらが在って勇気が内在しているしている状態といえるのでしょう。
一方「劣等感」はというと
主観的に、自分の何かの属性を劣等だと感じること。
他者との比較でなく、自己の目標と現実の自分とのギャップに直面した時の陰性感情
肉体・精神・感情面での人類の存在からの孤立。
と書かれています。
ちょっと難しく解りにくいですね。
私なりの解釈を加え、言い換えれば、
自分自身を理想と比較し、そのギャップから生じた自分に対しての否定的な考え(認知)を持っている状況。
と言えそうです。
理想を持つ限り、劣等感を感じるのは当たり前のこと。
逆に劣等感を感じないとしたら、人間としては少し問題がありそうです。
しかし、劣等感に支配され、人生上の取り組むべき課題に対して積極的に向き合うことが出来なくなったとすれば、それは悲しむべき状況です。
アドラーは、そして著者の岩井さんはその状態のことを、
「 劣等コンプレックス」として説明しています。
それは・・・
自己の劣等性を口実に、人生で取り組まなければならない課題を避けようとすること。
異常に高められた劣等感
であると説明しています。
また、「 劣等コンプレックスを抱いている。」事を
「誤った考えに基づいて生きていることの現われ。」とし、
誤った考え=「仲間との架け橋を作るよりも、自分の周りに壁を作って安全や幸福を確保するほうが楽だ。」と言う考えと説明しています。
優越感の一部は「優越コンプレックス」=劣等コンプレックスの裏返し。
耐えることのできない情況を補償する、偽りの成功。と説明しています。
簡単に言うと「逃避」と「虚栄」でしょうか?
ニュアンスが違う気がしますが、どなたか良い比喩をご存じでしたら、ご教示願います。
さて、それらのことは、どうしようもない現実を受け止め生きていく上では
必要なことですが、それらが常習化すると、人生を送る上で色々な支障が
出てきそうです。
では、実り多き人生を来る上で私たちは、どの様に自分を受け止め、劣等感と向き合えばいいのでしょうか?
実は、現在 私もこの課題と向き合いながら、道を探っているところです。
お読みに成られた皆さんのお考えやご感想などお寄せいただけましたら嬉しく思います。
気が向いたら、続きを書いてみたいと思います。